峻空会トップページ > 駒大空手を継承するアルゼンチン大活躍


Maestro INOUEを中央にアルゼンチン選手諸君

昭和45年、卒業して間もない井上光雄は、当時アルゼンチン主任指導員の板谷道久からの要請を受けて日本を発った。
若い諸君には信じがたい事と思うが、井上が渡航した方法は「ブラジル丸」と言う名の移民船に乗り込み50日の時間をかけて地球の裏側にたどり着いた。
先任の板谷道久指導員が不慮の事故で亡くなったのは井上が赴任してわずか3年後、まだ彼が25歳の時だった。
若くして全責任を一人で背負った井上は、以来31年間、自分が育った駒澤大学の空手道を唯一にして最高のものと信じ、期を同じくして激動を始めた世界の空手界の中で彼の信念が些かも変わる事がなかったのは今度の大会を観戦した者や大学で共に汗を流した学生諸君等にはお分かりの事だろう。
今、ややもすると薄れがちな昔の空手部の持つ独特の雰囲気、何より基本の重要性、地に根を張ったかのような安定した立ち方とそこから生まれる強い気迫、そして普段の礼儀に至るまで今もって井上はあらゆる事に対して厳しく指導し続ける。
そんなアルゼンチン選手団の今回の来日と大会出場、稽古を通し母校の道場で共に汗を流した本学学生諸君には日本から一番遠い世界に今も生き続ける駒大の空手魂の一端を感じられたならなら意義があり、アルゼンチンの選手諸君もまた駒澤の道場から多くのものを学んで帰国後も励むなら、井上の31年、命を懸けて築き上げた輝かしい成果であり目指してきたものではないだろうか。

表彰式の最中、出版社からアルゼンチン活躍の秘訣と日々志すものが質問されていた

以上、第9回松涛杯争奪世界大会に於ける「奥家沙都美 優勝までの奮戦記」と、
アルゼンチンから凱旋帰国した井上光男君の報告を特番にて掲載いたしました。

駒澤大学空手道部 峻空会
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