峻空会トップページ > 第9回松涛杯争奪世界空手道選手権大会の報告


故郷からの応援垂れ幕に見守られて戦い抜いた奥家沙都美

やかな世界大会の会場、カラフルな旗や垂れ幕に溢れる中で、ひときわ控え目な白地に墨染めの小ぶりな幕には 「必勝 奥 家 沙 都 美 選手 青森県田子町空手道場」と染め抜かれていた。
田子は「タコ」でなく「タゴ」でもない、おそらくこの日の会場に集まった日本人の殆んどがこの「田子」を正確に読む事は出来なかったのではないだろうか。
そして「タッコ」町の空手道場が奥家沙都美の空手道の原点なのだ。

都美が兄の後について通った田子の道場で初めて空手を始めたのは4歳のときだった。
弘前の対馬利夫先生の指導を機会あるごとに進んで受けて伸びていった沙都美は早くも中学生になると「全中2位」の成績をあげ、駒大OB 菊地 基の指導する御殿場西高に進んでからの目覚しい活躍は「全国高校選抜大会」「国体」共に優勝「インターハイ2位」の際立った成績を引っさげて駒澤大学に入学した。

学後は大石師範の下に一層の磨きがかかり同期の水野庸子と並んで駒大2枚看板として活躍し、その名は大学空手界に轟いていた。
ただ、それが実力だったのか、それとも運には見放され続けたか、これまで幾多の試合で決勝まで進みながら水野の後塵を拝しては涙を呑んできた。
昨年の「第46回全国大会」も水野と共に決勝まで進みながら結果はそれまでと同じものになった。
よほど胸に秘めるものがあったのだろう、卒業してこの春から協会研修生への道を選んだ。
それだけに今年の全国大会にかける執念は並大抵ではなかっただろうが、それが仇になったか7月の大会を目前にして足に大きな怪我を負った。
“出場は無理“と師範大石から強く止められながらも、腫上がって熱をもつ足を引きずり、試合の間に氷で冷やしながら強行出場をした。
「完全駒澤デー」と言われ記憶に新しいこの大会は、全種目の優勝を果たし現役も峻空会も満面に笑みを浮かべて喜んでいた頃、思い通りに動かない体に鞭打って上ってきたものの準決勝で力尽きた奥家の、涙をこらえた後姿が必死に耐えながら何かを語っていた。

月22、23日の両日、東京九段の日本武道館で行われた「第9回 松涛杯争奪世界空手道選手権大会は各国からの選手団で賑った。
男女個人戦、団体戦、それぞれの形と組手の選手として駒澤から現役学生と卒業生が大勢選ばれ出場した。

男子個人組手には平成元年 小林邦雄 個人形に同じく小林邦雄と平成10年 斉藤祐樹
女子組手;平成15年 奥家沙都美
男子団体戦組手(日本優勝):平成12年 杉山俊輔  
男子団体形(日本優勝):平成10年 斉藤祐樹 平成13年 栗原一晃
女子団体組手(日本優勝):平成15年 水野庸子 現役1年生 若林梨沙 
団体形(日本優勝):平成13年 東 千春
海外からも高橋俊介師範のオーストラリアとニュージーランド。
井上光雄師範率いるアルゼンチンは35時間のフライト経て来日し、個人、団体に大いに暴れ回り団体戦では日本に次いで見事念願の準優勝を勝ち取った。

試合前、一人ゾーンに入る奥家

奥家の初戦はコートに上って5秒で終わった。
飛び込みの速さと技の切れはこの大会に賭けてきた彼女の熱い思いと相手を圧倒する気迫に満ち溢れていた。
2回、3回戦は初戦に比べれば多少の時間は必要とするも、それでも全く危なげなく相手に付け入る隙は微塵も与えずベスト8で予選を終え、明日の決勝日に向け至って静かな顔つきで帰路について行った。

準々決勝はさして記憶にも残らないほどに順調な攻撃で金髪の選手を退けた。
が、さすがに世界から集まり選び抜かれた者たちの中ではそう簡単なことで最後まで到達する事は出来ない。
準決勝は早くも奥家にとってこれまで経験のない難敵との戦いになった。
難敵とは身長差だ。 おそらく30cmとまではいかないまでも、まるで二階から振り下ろすような突きや、間合いの外から繰り出される蹴りは難敵そのものだった。
難攻不落、ご覧の通りの身長の差
背筋をピーンと伸ばした奥家の構えは実に美しい。
この美しい構えから何度も果敢に攻め込むも、相手の懐は想像以上に深く攻めあぐねているかに見えた刹那だった。
ものすごい奥家の踏み込みは一瞬彼女の全身が相手の中に包まれたように見え、同時に強烈な中段突きが決まり場内がどよめいた。
技ありを取られた後の相手はその時点で万策尽き果てたか、ただ意味もなく長い手足を振り回すが、既に奥家の敵ではなかった。
長身の難敵を見事に退けた奥家、しかし本当の敵はやはり最後に牙を研いで彼女を待っていた。

決勝戦の相手 高橋優子選手。
大正大学OGの高橋は名実共に現在の日本女子空手界を代表する選手の一人と言われる。
全くタイプの異なる高橋と奥家、準決勝の相手程ではないにせよ日本人離れした長い手足の高橋は体格に合った遠い間合いからまるで槍のような突き蹴りを繰り出す。
対して奥家は弾丸のような踏み込みで懐に飛び込んでの正確な突きを身上としてきた。
大方の前評判も、離れて外からで高橋、 飛び込んで奥家。
勝負の予測は極めて困難な対戦だった。
予測に違わず高橋の遠い間合いは容易には崩せず苦戦を強いられた奥家。
やおら飛んできた高橋の槍のような突きが奥家の上段を襲う・・・・・技あり。
まるで時計がいつもより早く時を刻むように感じられ「残り30秒」を告げるカネの音が武道館のセンターコートに無情に響いた・・・・。
技ありの先取りと、わずかな残り時間からか幾分余裕を得たのか高橋の少し半端な蹴りが出た、と同時に奥家が渾身の力で飛び込んだ・・・・・技あり。
程なく終了のカネが鳴り判定は紅白の旗が共にあがり延長に入った。
延長戦もしばらくは一進一退が続き互いに「先」の取りにくい状態の中で奥家が弾んだ。


まるでゴムまりのように弾んで見えた奥家の突きが完全なまでの形で高橋の上段を襲い、同時に二人の審判の白旗が勢い良く天に向けて突き挙げられ「一本」が告げられた。
世界大会の決勝戦、それも延長に入った後のない状態。
どんな決断が奥家にあの跳躍与えたのか、それでなくとも遠い高橋の間合いを凛々と漲る勇気で詰め抜いての攻撃はただただ・・見事・・の一言に尽きた。
かってメキシコでの第一回世界大会を制した恩師大石武士直伝か、この一本にかけた奥家の飛び込みは、まるで全盛時の師範の空手を彷彿とさせる凄みは、当時を知る者にとって思わず全身にザワメキを覚える程の勝負の極みだった。
戦い済んで奥家の顔には持ち前の穏やかな性格を表すやわらかな笑顔が戻った。
奥家は、試合中の「じょっぱり顔」とこの笑顔、どちらもよく似合う魅力を備えている。

名実共に世界の頂点を制した奥家沙都美。
私は思う、そして峻空会諸拳にこの事を伝え、又、問いたい。
彼女の次回出場の大会会場には、故郷「田子町の道場」の後輩たちから贈られた心のこもった応援垂れ幕の隣に並べて掲げたい、駒大の誇り、二人目の世界チャンピオンを讃えて垂れ幕には

桧舞台で絵になれ 奥 家 沙 都 美
        
                    駒澤大学空手道部峻空会

と染め抜いたものを。

完  N.Y

駒澤大学空手道部 峻空会
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